そこへ行きたい

 

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2009.11.06[金] アウシュビッツ

アウシュビッツ、ビルケナウ強制収容所へ行った。
一部残っている収容所の施設が今は博物館となっているのだ。
例によって自分はこういうことに関しては本当に無知なので、
強制収容所はドイツにあるものだとばかり思っていた。

強制収容所はクラクフからバスで1時間30分、
オシフィエンチム市にある。

到着するが入り口付近のすごい人、
そのほとんどが修学旅行らしい若い学生。
Aresize0890.jpg
まずはゲート。
「働けば自由になる。」と書いてある。


博物館に入っても人垣で展示物が見づらく
ギャーギャーと話し声がうるさいので、
先にビルケナウ強制収容所へ行くことにした。

アウシュツビッツから無料のバスで数分で着く。
ここは収容者増加のため、
アウシュビッツ収容所の後に作られた広大な収容所。
BAresize0886.jpg
列車のレールがそのまま敷地内へと入っている。
ヨーロッパ各国からのユダヤ人をはじめとする収容者たちは、
列車でそのまま施設に運ばれていたのだ。
Bresize0888.jpg
高圧電流の流れていた有刺鉄線が敷地を囲み、
その外側には100mほどおきに監視塔のようなものがある。
その当時から60年以上経った今でも、
敷地内にいるだけで威圧感を感じた。
Cresize0885.jpg
収容者達の宿舎。
建物は隙間だらけで冷たい風が吹き抜ける。
しかし今はまだ11月初め。本当に寒くなるのはこれからだ。
三段ベッドにマットレスでなくワラがひかれていたそうだ。
まともな食事を与えられず、毎日重労働、
そして寝床の劣悪な環境。
これでは生きているほうが不思議だ。

同じ宿のメキシコ人が、
「まるでケンタッキーのブロイラーのような扱いだ。」
なんて言っていた。
しかしブロイラーの方が餌を十分に与えられるだけましかもしれない。
何の罪も犯していない同じ人間に対しての扱いとは思えない。
Dresize0889.jpg
ここはガス室があった跡。
労働力にならないと判断された子供、女性、老人などが大量に虐殺された。
裸にされ、ガス室へ強引に誘導される収容者の写真があった。
まともに見られない。

そして奥の広場では死体が焼かれていたそうだ。
死体をゴミのように扱っている写真がある。
あまりに卑劣だ。

そして敷地の一番奥の建物。
ここは収容者がまず連れてこられるところ。
消毒され、所持品をすべて没収される。
Eresize0887.jpg
おそらく没収された所持品の写真だろう。
強制収容所での犠牲者は数十万人とも数百万人とも言われる。
数字で言われてもなかなか実感として湧かない。

しかし、これらの写真を見て胸が張り裂けそうになった。

収容者の大切な思い出なのだろう。
スキーをしている写真、
楽しそうなパーティーの一場面、
家族との写真。

その個々の幸せで素晴らしい人生が、
ナチスの馬鹿げた思想によって消されてしまったのだ。
本当にやりきれない。
怒りが込み上げてくる。



再びアウシュビッツに戻る。
先ほどあれだけいた人がほとんどいなくなっていた。
建物の中は薄暗く、2人でいても心細い。

展示によるとこの政策に対して反対運動をした人も多くいたようだ。
しかし、それらの人々は捕らえれ、見せしめに処刑された。
収容所でも同じで、脱走を図った者、反抗した者は
収容者達の前で厳しい体罰や処刑をされた。
そうやって収容者や市民を
精神的にコントロールしていったのだろう。

ここを訪れる前に下調べをしている時、
印象に残る報告があった。

この収容所で最後まで生き残ったほんのわずかな人達。
その人達はどんな人間だったのかを心理学者が調べたことがあるらしい。

どんな状況でも夕日など美しいものに感動できる人、
自分が自由になったらこんなことをするんだ!と夢を持ち続けた人、
病人や子供などの弱者に自分の食事を分け与えるなど思いやりのある人。

こんな人たちが生き残ったそうだ。


気がつくともうあたりは薄暗くなっていた。
日の入りが早いというのもあるが。

まだ全ての展示を見ていない。
今日は頑張って早起き、9時過ぎにはバスに乗ったのに....
ここをじっくり見ようと思ったら1日じゃ足りない。

いろいろと考えさせられた。
そして、なぜこのような過ちが起こってしまったのか。
その背景をもっと知りたいと思った。

一日中歩き回り疲れた。
帰りのバスでは2人とも爆睡。
明日はゆっくりしよう。

Comment

2009.11.09 Mon 08:33  残酷

人間は、こんなにも残酷になれるという現実に、恐れおののいてしまいます
日本も、太平洋戦争の際は同様の行動をとっています
オウムの事件や浅間山荘事件でも、同じです

自己保全や自国(自分)の利益を優先した結果なのでしょうか
高等教育を受け知性を持った人もいました
無知ゆえの過ちではない
人格形成は、単なる教育とは、まったく別のところ育まれるのだと思い知らされます

恐怖にさらされても、踊らされなかった人々もいたことが救いです
無駄と思われても、命が危うくても、人として正しいことを貫く強い人間でいたいとは思っていますが、こんな甘っちょろい考えはいざとなったら吹っ飛んでしまいそうです
ただそう思うことは忘れないで生きていきたい

子供にもそう教えてきた
その結果、もなかは異常に正義感が強い
良かったのか、悪かったのか考えてしまう

  • #-
  • あーるママ 
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2009.11.10 Tue 05:06  

>あーるママさん
自分はここを訪れたあとにいろいろ調べました。
ホロコースト(大量虐殺)を指揮したハイリンヒ・ヒムラーは、
カトリックの教えに従って厳しくしつけされ、
学業も優秀、そのうえ動物に非常に優しい人物だったそうです。
鹿狩りを批判していたほど。
そんな人物がなぜそんなことを.....

ヒトラーを神のように崇めていて、
まさしくオウムなどの新興宗教と同じだと思いました。

多くの人がこの政策に反抗し、そして消されていった。
「正義は勝つ」わけではないのがとても残念なことです。

実際にアウシュビッツに自分が収容されたらどうするか?
今は殺されてでも親衛隊をぶん殴ってやりたい!と思うけど、
実際にその状況におかれたら、自分もわかりません。
生き延びる術はおとなしく言いなりになるしかないのですから。
もなかは殺されてでも最後まで抵抗すると言っていました。
やはり正義感が強いみたいです。
  • #SFo5/nok
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ガク&もなか

Author:ガク&もなか
屋久島での島暮らしは最高だったが(島暮らし~漁師風~)二人の夢である世界一周旅行を実現するため関東へ出稼ぎへ。ガクは塾講師、もなかは派遣社員として資金を作り、2009年5月13日、日本出発。いろんな国でおいしいご飯や、楽しい旅人、いろんな生き物に出会って旅を満喫、2010年9月に帰国。現在、再び屋久島で生活を始めるためにガクは石垣島で船長修行、もなかは岡山で獣医修行中。

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